リサーチマインド
2019.8.1
長文です。私は大学教員から臨床医になった変わり種です。今回の話題は、「臨床獣医師に研究能力は必要か?」です。獣医学部のような専門職種の養成大学には特に、その教育カリキュラムに例外なく研究的な要素が組み込まれています。臨床志望の学生達の多くはより実践的な教育を望むため、卒業研究のような手間と労力と忍耐が必要な科目は敬遠されがちなのですが、そこには「大学は科学者を養成する機関である」という強い自負があるものと考えます。我々獣医師は社会の個別あるいは集団における難しい問題に柔軟に対応するための洞察力が求められる職業ですので、真理を追究する研究という行為が教育手法としてとても親和性が高いことを伺い知ることができるでしょう。
さて、上述の問いに対して獣医師の意見は分かれると思います。開業医になるなら、早くから臨床技術・知識をしっかり習得した方が良いと考える先生もおられますし、研究行為は臨床にも十分活用できると考える先生もおられます。私は臨床医を目指して獣医師のキャリアをスタートさせ、その後大学院に進み、大学の臨床系教員を経て開業医になりました。そのため、誰よりもその問いかけに応答する義務があると勝手に考え、ここにひっそりと私見を書き残しておきます。特に今後、自分の進む方向性に悩んでおられる若い先生方の参考になれば幸いです。
臨床の技術・知識は一朝一夕には得られませんので、経験値を反映する「場数」がモノをいうことは実際にあると思います。学生さんや若い先生が臨床の実経験を重視した就職活動を行う傾向があるのは自然の流れでしょう。臨床技術がある程度備われば、あとは自分の腕一本でこの世界を生きていける、という自信を得ることが若い獣医師にとって一つの大きなモチベーションであることは昔も今もそう変わらないのではないかと思います。私も臨床医として駆け出し頃は技術や知識を追いかけて毎日勉強に励みましたが、頭が硬かった私は柔軟性を欠いた診療しかできず、そのために大きな挫折を味わいました。私は「思考する」という臨床に重要な能力が顕著に低く、現場で全く役に立つことができませんでした。その失敗体験が私を研究の道に立ち寄らせたと言えます。
私の経験では考える力もまた、一朝一夕には得られません。前述した技術の場合と異なるのは、それが場数に影響されにくいという点ではないかと思います。根底にある思考力が未熟であれば、一つの事象から得られることは限られます。つまり、経験した場数がいくら多くても、思考が伴わなければそれはいつしか単純作業と化し、自動販売機のような思考に終始するでしょう。思考力は経験を足し算ではなく、掛け算に変えてくれるのです。一つの知識・技術の習得が何倍も膨らんで自分のものになるとすれば、思考力を鍛えることも意識した臨床技術の習得が結果的には近道と言えるかもしれません。研究は思考を鍛える方法として非常に優れます。研究は問題の発見、仮説の設定、解決に向けたアプローチ、得られた結果の整理、成果をまとめて他者へ伝える、その一連の過程を経て成立しますが、その過程は臨床現場においても同様に求められます。真理を追究する行為は臨床においても基本構造は類似していますが、臨床の場合は最後の「他者」が飼い主様である点に決定的な差がありますので、より繊細かもしれません。
私の個人的な見解は、「臨床に研究能力は必要条件ではないが意外ととても役に立つ」です。研究能力は言い換えると研究的思考力(リサーチマインド)であり、リサーチマインドは思考力が足りないと感じ悩まれている若い先生に是非覚えていただきたいキーワードです。誤解のないように申し添えますが、リサーチマインドは研究だけでなく、臨床現場でも十分に鍛錬されます。そこで注意したいのは、若いうちから目の前の問題を単純化する癖をつけると、そこから抜け出しにくくなります。それだけではなく、問題の単純化は何かを学び取ろうとする意欲をも下げてしまい、終には仕事に飽きを招きます。臨床獣医師の仕事は何かとプレッシャーが強いので、仕事に飽きたらけっこう辛いです。
思考する癖をつけるためには、感じた疑問に素直に反応できる心が大切だと考えますが、年齢を重ねると先入観や思い込みが増えてきて思うようにはいきません。知的好奇心に誘われた童心を思い出す心の余裕が、リサーチマインドを体得する最も重要な要素なのかもしれません。言うは易し、実際はなかなか難しいものですので、何事も時には休憩しながら、心の余裕を確保することが大切なのではないかと思う今日この頃です。
このブログは当院長が気の向くままに書き連ねる情報発信の場です。様々な立場の方々に広く興味をもっていただける内容を目指して、日々心のアンテナを張っていきます。
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