学会と、その場での表現について
先月は毎年開催されている四国地区の獣医学術大会(世に言う学会というものです)の高知県大会が開催されました。四国地区学会の主幹は四国4県持ち回りなので、4年毎に高知大会が開かれています。この大会は小動物、産業動物、公衆衛生の3分野が同じ会場で学会を行うため「三学会」とも呼ばれます。私は三学会小動物部門執行部の末席にいる身ということもあり、事前会議から当日の発表演題の審査まで気が抜けない時間を過ごしました。
獣医師が集まる「学会」と銘打ったイベントは大小合わせると年中全国どこかで行われていて、多くの獣医師がそれぞれの目的において参加しています。学会に参加する主な目的は、獣医学的知見のアップデートをする、口頭発表をする、人脈を広げる、昔の知人に会う、慣習として参加している、など様々です。私は三学会の幹事なのでできる限り学会を盛り上げるように立ち振る舞う役なのですが、地域の獣医師全員が学会に参加しているのか?と言えば勿論そんなことはなく、四国三学会では参加しない先生の方がむしろ圧倒的に多いのです。その背景には、今はわざわざ遠方の学会へ出向かなくてもオンラインで多くの情報を能動的に得ることができますので、特に自己研鑽という意味での学会の価値は低下しています。また、学会では一部の強者(自身の診療にある程度の自信をもっている先生や大御所と呼ばれる先生を指す)と、それ以外の声が小さい弱者が明確に存在し、どことなくその対立構造が見え隠れします。
こ のような微妙な対立構造は学会の敷居を高くする大きな要因であると感じられ、実際に口頭発表の質疑応答の場で他者の発表を強く非難する先生にはしばしばお目にかかります。批評と批判を混同してしまうと有意義な議論が展開されないので、専門家は互いの言葉の選択に十分注意しなければなりません。立場的に声の大きな人ほど言葉を工夫することでコミュニティにおける表現の自由を後押しし、結果的に多様な意見を集約できるようになると思うのです。
今後の学会の存在意義や運営について、深く考えるきっかけとなった9月の学会でした。

9月に行われた四国地区獣医学術大会(高知市)の様子